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これからこのリンク先だけにアップし、Twitterおやすみします。

食べ過ぎの毎日を過ごしている。
あきらかに食べすぎだ。
写真の猫とは関係ない。

地面から湧いてきたような雲がとてもきれいに浮かんで染まっていた。

今日はとても清々しかった。
これからは今日以前よりはとても気持ちよく過ごせるような気がする。

もうあまり色々気にしない。
がんばりもしない。
毎日楽しく生きようと思う。


今日は久々に、気に入っている焼肉屋さんに旦那とふたりで行ってきた。
特に高級でもとてもおいしいわけでも量が多い訳でもないけど、お値段の割にそこそこおいしくてたまに行っている。

今日もおいしく頂いた。
ごちそうさまでした。
明日も元気に行こう!

水の中にいるようなもったりとした1日だった。

とにかくねむい。
昼ごはんを食べてからというもの、ずっと眠さと戦っていた。

1度はいらないと思いゴミ袋に突っ込んだ服を引っ張り出してきて大きな座布団を作ることが出来ないかと切り刻んでみたり、食パンにピザソースをかけてとろけるチーズをまぶしたものをトースターに入れて焼いたり、食器を洗ったり、とにかくすべての動作が眠さの水の中で行われていた。

今もものすごく眠い。


写真は私がねむさと戦っている時に、押入れの布団の上でくつろぐねこに近寄って撮った1枚。

親友と待ち合わせて喫茶店に行って奢ってもらった。

黒いチーズケーキと酸味のあるコーヒーをいただいた。
久しぶりに入った喫茶店。
たまに素敵な喫茶店に行くと、いつもいつも行っているよりもありがたみを感じる。
ケーキもコーヒーもとても美味しくいただいた。
ごちそうさまでした。

浮かぶ雲を少し見ずにいると、次に視線を上にをあげた時にはもう全く別の形になっていて、あの雲だったはずのものはもう見つからない。
実家で過ごす日日(1/31に書いたもの)

実家で過ごす日日(1/31に書いたもの)

今月中旬を過ぎた頃にこちらにやって来て、かれこれ何日たっただろうか。
本日やっと、今年はじめて車に乗った。いや、自分で車を運転した。とても久しぶりだった。ほんの少しだけ、ただホームセンターにいって帰って来ただけだったのだが、とても楽しかった。


実家では毎日ほぼ同じリズムで日々を過ごし、やっと少しずつ、多分一般的な人から見たらまともであると思われる過ごし方、をしているんだろうな、と感じている。これで私の中身が少しでも落ち着くのなら、そうするべきなのかもしれないとは思うけど、私は、私自身がなぜだか何かが違うと感じてしまっている気がしてならない。
私が私であって私でないようなすべては誰かが敷いた何かにのって流されていくような気分で今これを書いている。



昨日読んだ、内側に神様がいるという文章、実は私も昔から、私の中に神様がいる気がすると思っていた。私の思うそれは、私が神様、という意味ではなく、私の中に私をよりいい方へ導こうとする何かがちゃんといる、ような気がする、という意味の神様だ。多分私が昨日読んだ文章の意味もそういった意味の神様なのだろうと私は勝手に解釈し、そして、そう思う人たちが今までにもたくさんいたのだろうことを思って少し安堵した。

なぜ安堵したのだろう。
普段は人とできるだけ違う道を歩きたいと思う私は結局、どこかで人と繋がっていたいのだと、私もとうに気がついているのに、私ときたらいつもどうにか色々突っぱねてそれでいてわがままをいい駄々をこね、そして私一人では何もできなくて一人で暗い部屋にポツンと正座し、うつむいて携帯電話をながめるのだ。



実家にいる間に、行きが四センチ積もったり二センチ積もったりした。
積もる雪は日が当たると地面の色を濃く変えて、そして蒸発していく。
そうやって、少しずつ、春に近づいていく。
富山県にいる。

富山県にいる。

私が思うところの私では無くなっているとわたし自身が感じている今何かを突きつけられても何も反応することができなくて私はただただ雨晴海岸に緩やかに寄せては帰る波に目を奪われていた。

それを見ていることしかできない、というのが本当のところだ。

でもそれでよかったと思っている。

私以外のすべてはとても収まりよくその枠の中にきちんと並んでいる。
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