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昨日は午後九時半頃帰宅。

8日夜中から新潟へ、ご老体ジムニーで行ってきた。
ちょうど台風が来ていたが、お昼前には柏崎の空は晴れわたり、9日、片貝の夜の花火はとても澄んだ空に打ち上がった。

台風がそれてラッキーと思っていたら、なんと次の日10日のほうが天気が崩れ一日中雨。
会場まではいつもは車でむかうのだが、今回は各駅停車の電車と片貝まつり行き臨時バスを使って行ってみた。東京近郊の電車賃に慣れてしまうと意外とお高い。車窓にはまず海、そして実った稲、川、こんもりとした森、畑、まばらな住宅街、密集した住宅街、街。

雨の中でも片貝まつりの花火は神社への奉納の為、よっぽどひどい風でない限り中止にならないらしく打ち上げられる。
1番大きな4尺玉が最後の方に打ち上げられるのだが、去年見たものよりも低くまでしか上がらず、しかしその大きさなりの轟音で破裂し、前も見ているというのにやはり今年も、思ったよりも大きな光の花を咲かせて消えていった。

雨の中花火を見るのはかなりの苦行だ。
なぜなら花火は上に咲き、私達はそれを見るために上を見る。雨は私達の目にいっぱい降り注ぐので、常に細目だ。何よりも座るところがびちょびちょで、かっぱを着てるんだけどなんでか体力気力ともに抜群の消耗力。

2日目は本当にずっと雨の中花火が打ち上げられたので、尺玉、3尺玉など、大きくお金のかかる花火も上がっていく途中で落ちてきてしまい森の中で破裂、地面から半月型の花火になってしまったり、山に垂れ下がる雨雲に隠れてしまいきれいに散っているだろう火の粉が半分以上隠れてしまったり花火本体にとっても過酷な状況だった。
片貝の人たちがスターマインなどの打ち上げの時に掛け声で「上がれ!上がれ!」とリズムよく大声を張り上げるのだが、晴れていた去年と今年の一日目には、上がれ!を叫ぶ必要もなく打ち上げ花火なんだから上がるんじゃないの?と思っていたが、今年の雨を体験してみてあの意味がようやくわかった。
気がつくと、私も上がれ!と心の中で願っていた。
晴れていたとしても、打ち上げるというのはそんなにも簡単なことではなかったんだろうなとも感じた。

そして本題写真に写っているものの話。
とても疲れたけど終わりよければすべてよし。
帰りに三条に寄って、前から欲しかった菜切り包丁を作る工場にアポ無しで突撃、なんとその場で欲しかったサイズの菜切り包丁を購入し、さらに制作過程も聞かせてもらえた!

帰ってきて早速まずは人参を切った。
今までの包丁とは切れ味が全く違い、なんて言えばわかるだろう、人参の切り口がツルンとあまりにもなめらか。力をかけなくてもストンと切れる喜び、そして指気をつけないとやばいなと本気で思った。

写真が花火じゃなくて包丁なのは包丁こそが今回の私のメインだったからですがそんなこと言ったら誘ってくれた人が嘆くかもだけど、そんなの抜きにして日本海側、やっぱり好きだなー、と思ったのでした。
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